武・田上公民館防災講座福島第1原発事故後の福島県に今年2月を含め3度取材に入った南日本新聞社社会部の中原克巳記者(40)が5月29日、鹿児島市の武・田上公民館で現地の実情を伝えました。同公民館の防災講座の一環で、集まった15人が熱心に聴き入りました。

中原記者は冒頭、福島第1原発を直撃した津波が13・1メートルに達したことなど、震度、死者・不明者数を含めた具体的な被災数字を示しました。続いて同県内の小学生が震災6カ月後につづった作文を紹介。「『ゴゴゴゴー』と地鳴りがして学校が揺れ、校庭についたらまわりには泣いている友達がいた。『ゴゴゴゴゴーッ』と白い水しぶきが町に押し寄せてきた」「避難所でのごはんは冷たいおにぎりだけ。寒くて震えながら寝ました」と切実でした。

地平線が見えるまで津波にさらわれた地区、道ばたに転がる牛の死骸、ランドセルにつけられた線量計、除染で出た廃棄物が積まれた野球場-など生々しい写真41枚をスクリーンに映し出しながら解説。学校給食は震災後1カ月たっても育ち盛りの子どもたちに「『おにぎり、牛乳、バナナ』というメニューが毎日続いていた」と報告しました。友達と別れたくはないけど親のすすめで転校せざるをえない子ども、家に戻ることもできず補償も確定せずに生活の再スタートが切れずにいる大人たち。「再生・復興のスタート地点にすら立てない福島の人たちを忘れないでいただきたい」と結びました。

出席者から「どうして1カ月たっても給食は少なかったのか」「牛が塩を求めて民家に入ってみそをなめつくしたのはかわいそうだった。悲惨な状況があったのでは」など質問や感想が続々と出ました。「給食センターが津波で動かせず、物資が入ってこない状況が続いた」「原発が爆発した後、住民は情報がないまま渋滞で車のガソリンが減る中50、60キロ逃げた。ものすごい恐怖だった」「浜通り(福島県東部)からの避難者は線量検査を受けないと避難所に入れず、子どもの手をつなぎながら雪の中で5時間待った」と現地で聞いたコメントを紹介して、回答しました。

講演後、主婦の有野春美さん(56)は「1年たっても、あのような状況というのがショックでした」と話しました。

(角倉 貴之)